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リバーズ・エッジ|“平坦な戦場を生き延びる”10代の住む世界と悲劇

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リバーズ・エッジ|“平坦な戦場を生き延びる”10代の住む世界と悲劇

 

相変わらず映画が好きな、ヤマノカホ(@kaho_yamano)です。

auマンデーに900円で観ることができたので、「グレイテスト・ショーマン」を次回にして「リバーズ・エッジ」を観てきました。見てから一週間ほど経っていますが、ふとした瞬間に感じ入ることがあります。そんな「リバーズ・エッジ」についてです。

 

 

  

映画「リバーズ・エッジ」とは…

 

「リバーズ・エッジ」は岡崎京子の漫画(同名)が原作の映画です。沢尻エリカの好演が話題になった「へルタースケルター」の原作者でもあります。

「リバーズ・エッジ」は1993年から1994年まで、10代女子をターゲットにした雑誌「CUTiE」で連載をされていました。

 

さわりだけ書くと、こんな感じです▼

母子家庭で育ってきた女子高生ハルナ(二階堂ふみ)は、彼氏の観音崎くん(上杉柊平)がいじめている山田(吉沢亮)を助けたことで山田と距離が近づいていく。ある日、そんな山田がハルナを連れてきた河川敷には白骨化した死体があって......

 

90年代初めの10代を取り巻く“地雷”のような問題が、山のように盛り込まれています。

「リバーズ・エッジ」が連載されていた雑誌「CUTiE」は、1989年に創刊され2015年まで続いたファッション誌です(現在、名目上は休刊中)。“原宿系”や“古着”といった個性的なファッション、いわゆる“青文字系”の服装を扱った雑誌でした。また、読者モデルを起用することで“等身大”を強く取り入れたのも、「CUTiE」がはしりです。「美女採集」で有名な清川あさみが出ていた雑誌のひとつとしても、有名です。

そんな雑誌なので、“モテ”を意識した「CanCam」や「ViVi」とは違い、“自己主張”がコアにあります。そういうコアを持った10代が読む雑誌ですから、「リバーズ・エッジ」に出てくる“地雷”は気持ちとしてとても身近なものだったと思います。現実の問題として近いかは別にしても。

そういう“地雷”は“寂しさ”や“虚無感”に結びついているから。そして、“自己主張”も元をたどれば「こっちを見てよ!」という“叫び”がスタートだから。

 

きっと、当時「リバーズ・エッジ」は文学的な共感がたくさんあったんじゃないかと思います。

 

 

映画「リバーズ・エッジ」

 

そんな漫画の実写化。監督は行定勲。

彼ら・彼女らが生きる“戦場”の息苦しさは、行定勲監督が意図したように、スタンダード(4:3の画角)からひしひしと伝わってきました。また、彼らの生きている世界を覗き見している感覚もあり、とても生々しい現実のように感じました。

 

内容としては、「死体」「同性愛」「セックス」「援助交際」「コカイン」「拒食症」・・・と、ヘビーな要素が盛りだくさん。それでも、それぞれの要素が良いバランスなので、“平坦な戦場を生き延びる”というフレーズがはっきりと浮き彫りにされていました。一方で、登場人物それぞれの感情に共感する部分のある、自分の中の“子ども”も浮き彫りにされたように感じます。

 

ハルナ(二階堂ふみ)の傍観者然とした心もわかります。田島(森川葵)の自分の中身がぽっかりとしていて、他人が外側からかけてくれるコトバやイメージで埋めていかないと寂しくて不安だっていう気持ちもわかります。

置き去りにしてきて、回収していなかった気持ちの青さを、引きずり出されて目の前に置かれた気がしました。

 

 

印象的だったシーン1

 

田島カンナ(森川葵)のインタビュー・シーン。

(うっすらとした記憶なんですが…)こんなシーンがありました。

 

撮影者「“生きてる”って思うのは、どんな時?」

田島「生きてる…?え......?ふふっ......え?」

 

田島カンナは、この質問に答えられずふにゃふにゃ笑って誤魔化します。その笑顔が、どうしても忘れられません。身に覚えがあるから。笑顔を張り付けてるけど、心が握りつぶされるような瞬間です。

 

森川葵、すごいですね。これは、高橋一生と付き合ってたとしても、なにも言えません。

 

 

印象的だったシーン2

 

シーンという言葉があってるかわかんないですが、作中に出てくる死体を山田(吉沢亮)とこずえ(SUMIRE)がモノとして扱っています。“宝物”と言ってるくらいなので当然なんですが。死体は、物質なんですね。「コレ」とか、「アレ」とか言うんです。こずえに関しては、殺された子猫の死骸を「ミートボールみたい」と笑うシーンさえあります。

 

周りの人間が“生きた人間”として扱ってくれないと、人は自分のことも他人のことも“生きてる人間”として理解できなくなるんですね。頭ではわかってるけど、感覚・実感まで落とし込めない。

山田は、小学生の頃から暴力的ないじめにあっています。一方で、こずえは幼少期から芸能活動をしていて“商品”として生きてきています。

山田とこずえは、“生きている人間”として扱われてこなかったことが、とても大きな共通点なんですね。

 

 

全体を通しての印象

 

それぞれが、それぞれの“戦場”にいました。そして、お互いにお互いの“戦場”を理解できない。10代特有の視野の狭さが、世界の狭さが、とても息苦しくて。青春の怖い側面ですね。

 

映画全体を通して、濡れ場が多いです。役者さんたちが、本当に身体を張っています。チラッと二階堂ふみのヌードについて触れている記事を見かけましたが…

この映画で、二階堂ふみのヌードに色気がないのは、とても重要なことだと思います。色気は、相手を意識しないとでないから。傍観者であるハルナ(二階堂ふみ)には、あってはいけない要素だと思います。色気のなさだったり、観音崎(上杉柊平)の一方的な感じだったりは、周囲の“戦場”に巻き込まれていくハルナにも“ハルナの戦場”があることを表してるなと。

 

しみじみと思い出しながら、ぽつぽつと考えてしまう作品でした。